或る大学生の書き溜め

閲覧してくださる方に少しでも違う価値観に触れていただければと思います。

京都大学「タテカン」問題について思う事

皆様はじめましてこんにちは、おっかむです。

このアカウントでブログを投稿するのは初めてなので軽く自己紹介とこのブログの趣旨を書いておきます。私は京都在住の文系量産型大学生です。これまでの大学生活、怠惰で自堕落な生活であったため、少しでもそれを改善しようとブログをはじめました。人に自分の書いた文章を見られるというような外的な刺激が今の自分には必要かと思いまして... 量産型の大学生ではありますが、日々の出来事や考えを自分なりに表現したいと思います。よろしくお願いします。

 

さて、タイトルにもあるように本題に入りたいと思います。

今日書きたいのは、京大の立看板撤去に関する問題です。

皆さんも見られたことがあるかも知れませんが、京大には立看板、通称「タテカン」があります。タテカンには、政治思想を書いたものからサークルの勧誘に至るまで様々なものがあります。タテカンの起源は不明ですが、1960年代の学生闘争を機に盛んになったといわれています。

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京大正門にあるタテカン

そのような「タテカン」が、京都市の景観条例に違反するとして撤去命令を受け、現在撤去を巡って学生側と京大当局が衝突しています。

京大は、学生運動云々などで度々メディアに取り上げられるため、外部の人からすれば

「また時代遅れの革命運動かよ…」

「さすが左翼の巣窟、京大」

のようなコメントも少なからず…

私自身もこれまでの、自称同〇会などが行う学生運動にはうんざりしていました。

しかし、今回は問題の根本が違うのです。

そもそも問題となっているのが、京大敷地外の道路(百万遍や東一条)に設置してある立看板が、

①京都の「景観」を損ない

②不法に道路を占有し、通行人への危険がある

これらの理由から、撤去命令が下されたのです。

これはもちろん、政治思想に関するものだけではくサークルの紹介をする立看板もです。

この理由には様々な疑問符がつきます。

・「景観」とは何か?

・通行人への危険が具体化していないのではないか?

・①、②ともに抽象的な理由で「タテカン」という学生の表現の自由の場を侵害していいのか?

 

法律を齧っているものとして違憲審査的に考えていくと、「景観」保護・通行人の安全確保によって得られる利益と、学生の「表現の自由」との比較衡量ということになるでしょうか。(学部生が習いたての知識で考えました。暖かく見守ってください(笑))

それに加えて、タテカン撤去という強力な手段に関する学生への説明がしっかりとなされていない。

道路に面するタテカン撤去の対案として、大学側は大学内にタテカンを設置する場所を置いている、としていますがその場所は学生が駐輪場で使用している場所であったり、大学内でさえも目立たない場所である印象を受けます。(あくまで主観的ですが)

これは「学内外とわず、自らの表現したいことを表現する」タテカンの力を発揮するのに不十分であり、対案として成り立っていないのではないでしょうか。

以上のように今回のタテカン問題は様々な疑問点があり、普段自称同〇会のライブにうんざりしている私のような学生や、教授からも撤去反対の声が生じているわけです。

「いつも通り左翼系京大生が法や政治体制に立てついていきがっている」

このように考えないでほしい、私は切実にそう思います。

読みぐるしい部分も多々あったかもしれませんがここまで読んでいただいてありがとうございました。もしよければ購読よろしくお願いします。